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ついてない

明けましておめでとうございます!

年越しは、家でもっぱらテレビを見てました。
ベルリンのブランデンブルク門の年越コンサートの模様を。
あんな寒い中で、あんな長い時間あそこに終結していた、
あんなたくさんの人々に、心から感心。

私など、年明け恒例の「シャンペンで乾杯」と「花火」とで、
ちょっと外に出ただけでもう凍るかと思いましたね。
なんたって、マイナス8度でしたから。

1時半まで起きてましたが、
疲れてきたので顔を洗って寝ることに。

私の場合、順序としては、
歯磨きの後でコンタクトレンズをはずし洗顔、なんですが、
レンズはほとんどの場合左側から先にはずすんですね。
で、左は無事にいつもどおりにはずして洗ってケースに収め、
さてそれでは右・・・とレンズをはずした途端、レンズが消えた!

ほんとに。消失しました。
どうもはずした感触がいつもと違っていて、
目から出た瞬間にかき消えたみたいな。

どこかに落ちるとかすかな音が聞こえるはずなのにそれも無い。
(私のはハードレンズなので落ちれば音がするんです。)

はじけ飛んで床に落ちたかもしれないので注意深く探しましたが見つからず、
気がかりでしたが疲れてたのでもう寝ることに。

今朝になり探しましたが見つかるわけも無かろうとほぼあきらめました。
一体どこに消えたのやら。

ということで、ちょっとついてない年明けとなりました。

それでは皆さん、今年もどうぞよろしく!

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縁起が悪かったんだろうか

写真立てのように立てて使う、安物の鏡がある。
何年も前に買ったもので、いつ買ったのかも覚えていない。
でも、娘が生まれてから買ったものだと思う。
かなり前に(これもいつだったのかうろ覚えだが)、娘にあげた。

いつだったか娘の部屋に入った時に、ちらっとその鏡を見た。
鏡の中央に、縦に上から下まで一本のまっすぐな亀裂が入っていた。
落としたかぶつけたかしてできたのだろうか。

娘が、絵の具で絵でも描いているついでに、
ヒビの入ってしまった鏡にも色をつけようとしたのか何なのか、
鏡は紫色に染まっていた。
表も裏も紫色に染まり、それが乾いて随分と時間がたったように見えた。

なんでこんなことしたの?と聞いたが、
何でだったかな、もう忘れた、という返事。

ひびが入ったし、思い入れも何も無い鏡だから、捨てようと思った。
でも、捨てなかった。
別に、まだ使えるじゃないか。

水で洗ってみた。
絵の具の紫色が、じきに溶け出し流れたが、流水が透明になることは無かった。
別に、いいや。これで乾かしちゃえ。

例えば、私が髪をブローした後で、
後ろ髪のスタイルをチェックする時に、もう一枚鏡があれば便利だし…そういう時に使おう。
そう思って、私はその鏡を捨てずに、バスルームの棚においた。

いつも、ブローの後には、シンクの壁鏡とその鏡を使って、後ろ頭をチェックした。
(それ以前は、どの鏡を使っていたんだろう・・・)
そして必ずと言っていいくらいに、ちょっと手直しのブローを加えた。

で、何となく、最近になって、
ヒビの入った鏡って、もしかしたら、何かこう、
縁起が悪いとか、そういうの、あるんだろうか、
なーんていうことを、ふと思った日があった。

実は縁起が悪いのか。

だからうちは、平和じゃないのか。
だからうちは、夫婦円満家内安全じゃないのか。
むむ。
・・・・・。


無知なゆえに気にかけないで過ごすことは、限りなくたくさんある。
あるいは、日本の迷信やら言い伝えやら風習やらのどれかを知っていたとしても、
それは日本の外に一歩出てしまえば通用しない。

だから私は、例えば厄年なんかも気にとめたことがない。
前厄だとか、後厄だとか、そういうのを気にしたことが無い。

と言うか、これは元々私がそういうことに無関心だったからで、
夫が外国人だからというのは関係ない。
しかしながら、私の無関心は、
夫が外国人だからという理由でうまい具合に隠すことができ、
夫がそれに気づくこともない。

夜口笛を吹くとどうだとか、霊柩車を見かけたら親指を隠せとか、
そういうことは、例えばドイツに住めば、へ?それなに?である。
だから、そんなものを気にすることに一体全体何の意味があろう。

でもねぇ・・・。

「亀裂の入った鏡」には、何とはなしに、何かありそうではないか、外国ならきっと。

ひー。
意外と、怖い言い伝えがあるのかも。
調べてみるかな、ネットで。

郷に入っては郷に従えと言うが、
私の場合は、(話はすっ飛ぶが)予防接種に関してのみ、それを実践してきた。

郷に従ってドイツ人のようになろうと頑張った昔の浅はかな自分は、とっくに消え去った。
私は日本人でよかったし、日本人らしくありたい、外国であれば尚更に。

しかし、言い伝えやら迷信やらは、郷に従うほうが意外と良いかも知れない。
さて、ドイツでは、何か言われているんだろうか。

でも。

ネットで調べるのも実はめんどくさいので(だってドイツ語のサイトにはドイツ語びっしりですので)、
ドイツの迷信にお詳しい方がいらっしゃいましたらば、
お手数ですがコメントにておおしえいただけると幸いです。

と、ちゃっかり締めくくったガーネットです。
今年もよろしゅう。

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犬を飼うのか飼わぬのか

前回の、ヒビの入った鏡が不吉かどうかに対し、
世界中からただの一個もコメントが来ませんでしたので、
私としましては、すっかり安心~。
だいたいどうでもいいのよねそんなこたぁ。

さてさて。

私のつたないブログを前々からお読みくださっている皆さんの中には、
我が家が息子の要望を聞き入れて犬を飼うことにしたのかどうなのか、
ちょっとくらいは気になっている、という方がいらっしゃるかも。
いや、いらっしゃらなくてもいいのです、
とりあえずその後のことを書きとめておこうかと。

クリスマス・プレゼントに「犬を飼ってもいい」との
許可を親が与える「犬クーポン」を望んだ息子だったが、
私はそれをあげなかった。

なぜかと言えば、
犬を飼うことで生じる責任を、息子が果たせるわけが無い、
という理由からだった。
かと言って、「私の犬」として飼うことを息子が受け入れるわけが無い。

息子が「自分にできない」ということを理解したくないのはよくわかっていた。
しかし、どうしても理解できないなら、息子はその点で馬鹿である。
「モルモットの世話をできなかった」ということから自分で何も学ばなかった、
ということだ。

犬を飼ったら、どうせいつかは投げ出す息子のせいで被害をこうむるのは、
私と、そして、飼われる犬自身ではないか。
それすらも考えられない人には、やはり無理なのだ。

息子の投げ出す責任を、私がどこまでカバーできるか。
(私は、飼うとなればそりゃあ腹をくくって責任を取るつもりではいる、しかし、だ)
私はもともと犬が怖いので、
さあどんと来い!とは言えない自分があることは否めない。

クリスマス直前の23日、娘は根気良く弟に向かって話した。
「自分が変わらなきゃだめ!」

娘の言うのは、(学校で意地悪されることのある)自分を変える、ということであり、
いろんな意味で、大人になる、ということである。

これは、もちろん息子にとっては簡単ではない。
幼稚園の頃はよかったなあとか言うことすらある息子だ。
オトナになどなりたくないのだ。

しかし、今のままの弟では、犬を飼うところにまでも達しない、
というのが娘の言い分だ。
5年前に自分で望んだウサギの、その世話を自分はできなかった、と
潔く認めた娘の言い分だ。

私は、いつも思ってきた、
男の子というのは、女の子よりも、幼いのだ、ある年齢までは、と。
しかし娘は、それは違う、と言う。

9年生(日本の中三)の娘は、学校で下級生の子と喋ることもあると言う。
下級生の男の子と喋ると、自分の弟がいかにコドモかわかるそうだ。

小さいうちは、男の子は女の子に比べ、甘えん坊で幼稚である、
女の子は概して早熟なものだ、と一般に言われることを単純に思う私は、
娘に言わせれば、違っているのだ。
ふうん、そうか、うちの息子は他の同年齢の男の子よりも幼稚なのだ。

前にも書いたが、そもそも子供に生き物の世話などはなから無理である。
自分自身が誰かの世話を受けて生活を楽にし生きているのだから、
別の何かの世話をそこそこ完璧にできるわけが無い。
犬の世話など、無理無理。

娘は、しかし、一つの希望を弟に持たせた。
自分が変わったら、犬を飼える可能性だって生まれてくるよ、と。

うぅむ、その可能性を与えることが、
今後どんな風に息子に影響を及ぼすのであろうか。

いい子になったら、
強い子になったら、
思いやりのある子になったら、
意地悪されても負けない子になったら、
(色んな意味で)今よりオトナになったら、

犬が飼える。

そうでなければ、ムリ。

そして、息子は言った、変わる!と。

息子は、やっと静かになった。
犬犬犬と言わなくなった。

しかし、別段変わろうと努力している風にも見えない。

私は、しばらく彼を見守ることにする。
変われるわけなどないのだ、とも思うし、変わってほしい、とも期待する。

思いやりが心に生まれなければ、
そして、ちょっとくらいはオトナにならなければ、
生き物の世話などできるわけがない。

とにもかくにも、クリスマス・イヴからは静まった我が家である。

犬を連れて歩く誰かを見かけるとき、私はいつも振り返るようになった。
私にできるだろうかと、考える。

息子が「変わったら」、「成長したら」、
犬と生活する息子の夢が実現するかもしれない。
心の友を得て、精神が安定する息子の姿があるかもしれない。

しかし、今の息子ではだめだ。
犬を飼えるかもという可能性が、息子を良い方向に導いてくれるといい。
そんな風に思い、これからの息子を見ていくことにする。

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香炉のかほり

1月6日は、「聖三王」の日で祭日。

12月24日のキリスト降誕を祝うため、
日の出づる国、日没の国、そして、アフリカの、三つの国の王様達が、
ベツレヘムにたどり着いたのが、この1月6日。

この日が近づいてくると(あるいは6日当日に)、
「聖三王」に扮した子供たちが戸口に現れることがある。
あるいはそれは、1月6日につきものの「星の聖歌隊」と
私が勝手に訳している子供たちなのかも知れない。

聖三王と星の聖歌隊がイコールなのか、
どうもいまいちわからない私であるが、まあ、それはさておき。

とにかく、現れるのはこういう感じの子供たち。
Sternsinger
顔を茶色や黒に塗っているのがアフリカの王様。
手に持つ星は、王達を導く、ベツレヘムの星だ。

雪の中を来る場合もあるから大変である。
Sternsinger

さて、今日の夕方近く、玄関チャイムが鳴ったのでドアを開けたら、
うちにも来た!聖三王だか聖歌隊だかが。

まあねぇ、毎年来るので、私も別段驚かないが、
しかし、今年のはすごかった。
何がって、一人の王様は、手にこれを持っていた!

Weihrauchsfass

これは、手で持ち吊り下げる香炉。
中には、日本人には未知の香がたかれていて、
穴からは煙がもうもうと出る。
これを、ゆらゆらと前後に揺する。
鎖の長さは、50センチほどだろうか。

これを私が初めて見たのは、
ドイツの義姉の母親が亡くなった時の葬儀だった。
神父さんがこれを前後に揺すりながら、死者への祈りをささげた。

さて、戸口でこの子達が何をするかと言うと、
まず一人ずつ順番に「私はどこそこの王で・・・」と始める。
聞いていると、それは詩を朗読しているような風に聞こえる。
そして最後に募金を募るのだ。

吊り下げ香炉を持った王様は、それを前後にぶらぶら揺すり続け、
煙の半分がたっぷりと我が家に流れ込んだ。

こういうことは今回が初めてだ。
においが気にはなるが、やめてね、とも言えないではないか。

私はもちろん快く、
2ユーロ×王様3人分の6ユーロでいいかなーなんて勝手に考え、募金をした。
(2ユーロ3枚がすんなり入らないくらいに、募金箱は一杯な感触がした。)

さて、彼らが立ち去った後の、家の中のにおいと言ったら!
それは私にとって、教会での葬儀の記憶にほかならない。

くさいと言ってしまっては申し訳ないが、
しかしあまりにくさいので、家中の窓もドアも開け放つ。

外はその時既にマイナス6度。
数分の換気では意味が無く、寒さをこらえて再度の換気。
そのうちこちらの鼻もバカになったので窓を閉めた。

いやぁ、聖三王の訪問は構わないんですが、香炉持参は、ちょっと・・・。
私よりも鼻の利くズムちゃん(=モルモット、カゴは息子の部屋にある)にとっては、
さぞやつらかったことであろう。

いや、そんなことを言ってはいけない。
マイナス6度で各家を回る子供たちは、
どんなに寒い思いをしているだろう。
本当に、ご苦労様!なのである。

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うさぎから知ったこと~また犬の話

うちに2匹のうさぎが来たのは、5年前の11月だった。
義弟のご近所さんにうさぎが生まれた家があって、
うちが2匹もらうことになった。

私は反対していたが、3対1で負けた。
1人の不満の上に、3人の幸福が
(夫は無関心と言えばそうではあったが)成り立った。

うさぎが生まれたのは9月で、
2ヶ月たった頃に娘がパパと一緒にもらいに行った。
娘が自分で2匹を選ばせてもらったそうだ。

うちに来た2匹は、だからきょうだいということで、兄と妹か、姉と弟か、だった。
2年前の2月に、メスのハッピーが病気で死んだ。

ハッピーは、人懐っこかった。
私は、うさぎというのはみんなこんな感じで
人懐っこいんだろうと何となく思っていたので、
オスのラッキーがなかなかの人間嫌いであることは、
私にとってちょっとした驚きだった。
小さくて無口なうさぎも、一匹一匹違うんだなと、
私はうさぎを飼うようになって初めて知った。

世話をするのは私だが、
人間嫌いのラッキーは、私を見れば飼育ケージの中の「お家」に隠れる。
好かれないのは、寂しい気がしないでもないが、仕方ない。
うさぎにはうさぎの気持ちがあるのだ。

うさぎにうさぎの気持ちがあるならば、
犬にはもっと、犬の気持ちというものが、
うさぎよりも賢い分、あるのではないだろうか。

私は、これまでここに書かなかったことを、今日は書こう。

息子の要望を聞いて安易に犬を飼ったときに、
うさぎのラッキーに嫌われている私が最も気にかけるのは、
こういうことだ。

もしも、犬が、息子をあまり好きにならなかったら、どうだろうか。
もしも、息子が、犬とあまり相性が良くなかったら、どうだろうか。

それをずっと考えてきた。

それとも、犬は、ロボットのように、
飼い主一家全員に、惜しみなく愛を分け与え尻尾を振るのだろうか。

もしも、どこかからもらってきた子犬が、
息子の気に入るような犬に育たなかったら、
きっと息子は言うだろう、別の犬が欲しい!と。
この犬じゃだめ、でも、別の犬ならきっとうまくいく。
(息子の今の精神年齢では、きっとそう言うだろうと私は思っている。)

そういう可能性も、息子にそれとなく聞いてきた。
でも、息子からちゃんとした答えは返って来ない。
もちろんそうだ、犬は自分を気に入るに違いないと
息子は思い込んでいるのだから。

ああ、考えすぎだ、と、自分でも思う。
こういうことに関し、慎重すぎるのだろうか私は。

でも、今度新たに動物を飼うのならば、
今度こそは自分でも納得の上でのことにして、
その上で息子に手を貸したいと思う。

息子が静まった今も、私はこっそり考えをめぐらせる。
たとえ気が合わなくても付き合っていく覚悟、
それが息子に生まれなくては、やはり無理な気がする。

いや、それとも、
案ずるより産むが易し、とも言うではないか、
飼ってみりゃわかる、のだろうか。

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