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昔はかわいかったのに

息子が小さかった頃は、
「ママのご飯は世界で一番おいしいよ」
なーんてことを私に言ってくれてた。

無条件に親を信じ愛してくれたあの子は、
一体どこに行っちゃったんだろうな。
きっともう消えちゃったんだろうな。

今の息子ときたらどうだ。
気分に合わない料理を前にすると、
「何だこれ?」「こんなもん食えるか」的なドイツ語が
口をついて出てくる。

息子の帰宅時刻に合わせてこちらが用意しておいても、
それが気に入らなければ怒ってこれ見よがしに自分で何か作り始める。
思い通りの食材が冷蔵庫に無ければ、怒って食べないこともある。

そして息子は、今食べたいと思う物を食べさせてもらえない自分を哀れみ、
そんな親の元に生まれたその身を哀れんで、
「それでも主婦か」とドイツ語で私に言う。

そしてこう付け加える。
あぁ他の子はいいよな。料理上手なお母さんがいてさ。

(娘は、「ママの料理をまずいとかって思ったこと無いんだよね」
 と言ってくれるのだが…。)


例えば息子が私に向かって話すドイツ語の中に、
一つでも私の知らない単語が混じると、
彼は目ざとくそれに気づいてこう言う。

「何だよ、こんな言葉も知らないの?
それでもオトナ?まるで幼稚園並みだな、ばーか。
あぁ他の子はいいよな、言葉がまともに出来るお母さんがいてさ」


日に何度、息子から馬鹿呼ばわりされてるだろうな私。
いや、「馬鹿」よりひどいことだっていくらでも言われてる。
この頃では、私の姿が視界に入ることすら、息子には腹立たしいらしい。

ドイツ語で汚い言葉を言われると、
それを日本語で言われるほどにはぐさりと来ない。
しかしそれでも意味はわかるから傷つく。

「馬鹿」だけは日本語で言われてるから、心にかなりぐさぐさくる。
毎日毎日がそんな風に過ぎて行く。
涙が浮かべば、息子はそれを見てまたせせら笑う。
何を言っても聞き入れてもらえない。
何かを片付けるようにとか、そんなことを息子に言えば、
それ主婦の仕事だろ、とくる。
私は、返す言葉が何も浮かばなくなる。

息子が欲しいのは、
どっしりしていてよく笑い怒るとおっかないドイツ人のお母さん。
安心して信頼できる、ドイツ語完璧なドイツ人のお母さん。
だから私の言う事など、まともに聞けるわけがない。


彼の心はドイツ人だから、
私が日本人であることが気に入らない。
国際結婚であることを、
いずれ子から恨まれることになろうとは思いもしなかった。
ドイツ人並みの語学力が私に無いことを、
蔑まれることがあろうとは思いもしなかった。


この現実が、例えば18年前とかに見えていたなら、
私は子供を望まなかったかもしれない。

どうして私は子供を生んだのだろう。
あんな苦しい思いまでして。

いっそ子供のいない生活の方が、どれ程心が休まっただろう。
この頃本気でそう思う。

子供がいるって素晴らしいと思った昔は、
とりあえず今はもう蘇って来ないみたいだ。


でも人は、将来が何も見えないからこそ気軽なもので、
そこが人間の良いところなんだろう。
だから「そのうち子供も欲しいねーふふふ」なんて言って笑えるのだ。
そして子供が生まれれば、ああなんて幸せなのかと心底思い、
子供のおかげで世界までもが変わって見える。
そう、それが人というもの。


それにしても、私のことを認めてくれているのは、
実のところウサギのハッピーとモルモットのズムちゃんだけかも。
その「ふたり」には、怒られることないものな。
あぁそんな現実に、私はまたまたため息が出る。

(今回はコメント欄閉じてます)

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息子の一人旅

ドイツの中で夏休みの始まるのが最も遅いバイエルン州の学校も、
先週の金曜日で一年度が終了し、やっと夏休みが来た。

しかしそれにしても…夏休み~♪という気分とは程遠いこの涼しさ。
昨日今日と天気は実に安定していて、ずぅっと雨が降りっぱなしだった。
気温は日中でせいぜい15~17度と、真夏の格好では涼しすぎていられない。
冷夏なのかな、今年は。


ところで、息子が明日スウェーデンに発つ。
それも、初めて一人で飛ぶ。

息子は、あちらに住む夫の友人一家にお世話になる。
そして息子の後を追う形で夫が5日後にあちらに向かい、
その後1週間を一緒に過ごしたら二人でドイツに戻る、という予定。

これは、夫と友人一家と息子の間であれよあれよと決まった話だったので、
私は別段口も出さずにいた。
息子は、出発の前日(今日)になっても、別に落ち着かない風でもなくてよかった。

明日は、夫と息子と私の3人で空港に向かい、チェックインまで付き合う。

その後私達二人は夫の実家に向かい、
あちらで一泊して翌日にはせいぜい庭仕事に精を出す、という予定。
娘は、自分を嫌う弟が消え、親のいない一人の時間を得て、のんびり楽しむ。


昨日夫が、今回利用の航空会社(ルフトハンザ)に電話をして、
息子のために「乗降りの際の付添い」というか、
息子のことをちょっと気に留めておいてくれる人、というのをお願いした。

そういうことを頼むにあたって40ユーロだったかかかったそうだが、
たった40ユーロで私の内心の安心を買えたと思えば実に安いものだ。


いいかげん荷物をまとめるようにと息子に言う。
何を持って行きたいのか、服はどれを持って行くのか、自分で考えなさい、と。
しかし息子は何もしない。

息子が行動に移るまで、私は根気強く待つつもりがあるのに、
ぎりぎりで私の忍耐はこと切れる。
息子が荷造りしようと腰を上げるまでに10時間かかるとするなら、
私の忍耐はせいぜい3時間かもしれない。

こんなことをするから息子がつけ上がるのだと
心では重々承知しているつもりなのに、
忍耐切れとなった私は、ケラー(地下室)から息子が旅行に使えそうな
ADIDASのバッグと小振りなトローリーを取って来ては、
どちらがより便利だろうかと悩み、
5泊分の着替えをとりあえずADIDASの方に詰め込んでみたりする。

私が今夜ベッドに行く前に息子の荷物がほぼ出来ていれば、
この私が安らかに寝つける、というものだ。

要は、私の自己満足でしかないのだろうか。
それは息子の心の成長に結び付けられるものではなく、
明日の朝にこの私がばたばたしたくないが故に
私がまたしても動いてしまった、ということ。
そしてその積み重ねの結果として、息子の現在がある。

息子はきっと、明日の朝になっても荷物を作らないだろう。
その手の我慢強さについては、計り知れないものがある。
要するにそれは、この私が長の年月をかけ
しっかり育んでしまった間違いなのだろう。
何もしないでいればいずれはママが動くと、息子は充分学習した。


自分でやるからいいよ、もう心配しないでよ、と、
娘はいつしか私を随分とうるさがるようになったものだが、
娘と同じ様な気持ちは息子にはいつまでたっても芽生えない。


スウェーデンまでは、ミュンヘンからほんの1時間50分のフライト。

息子は、明日私たちと別れたら、少しくらいは緊張するだろうか。
いつも私のことを馬鹿呼ばわりする息子だけれど、
こんな母でもそばにいないと寂しいものだなと、思ったりもするだろうか。

いずれにしても、意義ある経験になることを、切に祈るとしよう。

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息子の一人旅-2

息子は今、一人でスウェーデンに行っていて、
夫の友人一家にとってもお世話になっている。


こう言っちゃあ何だが、
息子のいない我が家ときたら、あぁなんて静かで平和だろう。
それはもう、笑みが浮かぶほどに。

夫婦の不和と父娘の不和をちょこっと脇に押しのけて、
何も無いような顔をして微笑んでみれば、
この仮初めの平和に、仮初めに心が満たされる気分さえしてくる…
…なーんちゃって。

とにかく、自分に向かって罵声を浴びせてくる存在が留守だというのは、
私にとっては実に心休まるものがある。

世界のどこかで元気に楽しくしてるなら、(←元気で楽しく、これこそ全て)
とりあえずそれでいいよ(帰って来なくてもいいよ)、
とさえ言いたくなりそな気がしてコワクなる。


さて、子供が一人で飛行機に乗る、というのは、
私達にとって初めての経験だった。

乗降りの付添サービスを電話で頼んだ夫も、
具体的なサービス内容はわかっていなかった。

息子が発つ日、夫と私が同行してミュンヘン空港に向かった。

家を出るまでと車の中でも、息子の様子は別に変わったところが無かったので、
ほぉ意外と平気でいるんだな、ナーバスになったりしないのかなと私は内心思った。

でも、空港に着いてからは、息子の表情がちょっと神妙になった。

チェックインカウンターで、息子が一人で飛ぶことを告げると、
カウンターの女性は私達をすぐそばの別カウンターに案内し、
ここに必要事項を記入するようにと夫に書類を渡した。

書類に記入するのは、夫の住所氏名連絡先はもちろんのこと、
到着先の空港で息子をピックアップする友人の住所氏名・携帯電話等。
同時に夫は、セキュリティを通って出発ゲートまで一緒に行ける許可証ももらった。

ふぅん、親(というか付添人)の一人がゲートまで行っていいんだ…と、
私は(そういうシステムをこれまで知らなかったので)ちょっと驚いた。

夫がゲートまでも行けるなら、それこそもう何も心配要らないと私は思った。
息子は何も口に出しては言わなかったが、かなり安心したはずだった。

後で夫から話を聞くと…
スウェーデン行きの飛行機へは、
ゲートから専用バスで移動することになっていた。
そのバスにまでは夫は乗れない。
夫が息子を預けたのは、そのシャトルバスの運転手さんだった。
運転手さんは、夫が先程記入した書類を受け取り、
息子を引き受けたとの意味で書類にサインをした。

おそらく機内では、乗務員の責任者のどなたかが
運転手さんから息子と書類を引き受けてサインをする。
そうやって、責任の所在が明らかにされていく。

到着先の空港では、夫の友人が
身分証明できるものを持参の上で息子を待つことになっていた。


夫がゲートまで行くと知り、
私にはもう何も気がかりなことは無くなったので、
今や勝手知ったる空港内をぶらぶらしてサマーセールのショップを覗き、
その後はのんびりと「MAC(←ターミナル1と2の間の広場の名称)」の
ベンチに腰掛け夫を待った。


ちなみにただ今「MAC」には特設ビーチバレー場が出来ていて、
それを四方から囲む観客席が設けられている。

(クリスマス市の頃の特設スケートリンクと言い、
 夏場のビーチバレーと言い、
 空港内にこういうものを作るという心意気が、良いなあと
 私などは思うわけです。日本には全く無い発想だと。)


息子の乗った便が離陸まであと15分という頃になり夫が戻った。
私達はミュンヘン空港を後にして、夫の実家に向かった。
その夜は夫の実家に一泊する予定だった。

年のせいで庭仕事などすっかりできなくなった義両親のために、
時たま行ってはせいぜい頑張ってくることにしている。


夕刻、翌日を待たずに簡単な庭仕事に手をつけていると、
スウェーデンの友人から夫の携帯に電話が入った。
息子が無事に着いたとの連絡だったので、
特に義母はほっとして胸をなでおろした。私も安心した。


こちらバイエルンもずっと天気が悪かったが、
スウェーデンも同じだったと聞いた。
今回うちの息子は晴れオトコだったのだろうか、
息子が着くという日からスウェーデンの天気が回復した。
と同時に、バイエルン州の天気は息子が去って回復した。
雨オトコのような晴れオトコのような息子だ。


とっても楽しいホリディになるようにと、
普段にどれほど馬鹿にされようが何だろうが、
結局この母は、祈ってしまうわけだった。


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コロブ

息子がスウェーデンに発った5日後に、夫が同じ便で発った。

夫もいなくなり、私は娘と二人きりになった。
こんなことは滅多に無いので、この貴重な数日間をせいぜい楽しもうと、
娘も私も楽しみにしていた。


それが一転して、家から一歩も出たくない気分になることが起きようとは…。
そう、人生何が起こるかわからない。


ことの顛末はというと…。

先週末の土曜、家から3kmの隣町でお祭りがあり、
夫は友人一家を誘って一緒に行こうと言い、
さっさと連絡を取り合って、祭り会場で落ち合うことになった。

私は、何となく気乗りしなかった。
祭り自体に行きたくないというのとは違う気持ちだったが、
ただ何となく、出かけたくなかった。
でも、「何となく」だけでは夫に通用しないので、行くことにした。

夫が、自転車で行こうと言った。
そうすれば、飲んでも関係無い、と。
(いや、自転車の飲酒運転だって罰せられるのだから、本当は関係無くはない。)

ただ、家からお祭り会場までは、
そのほとんどが車の入れない散歩道を通ることになるので、
途中どこかでパトカーと出くわす可能性は確かにほぼ0に近い。

仕方が無い、自転車で行くか。
距離的には問題ない。3kmなどどうということはない。
しかし私は、真っ暗な帰り道の心配を、家を出る前からし始めていた。

無駄なもの(?)が一切くっ付いていない私達のマウンテンバイクには、
もちろんライトも付いていない。スタンドとかも無い。
(そんな物くらい買って付ければ良いものを…。)

ライトが無い、もしくは、点かない自転車で夜間走ると、
それをおまわりさんに見つかれば必ず止められる。
だから夫は、せめてもの対策に懐中電灯を二つ見つけて来た。
というか、お咎めが無いとしても、
明かりが何も無いんじゃとても夜道は走れない。
野原の一本道には、何の外灯も無いのだから。

祭りは、思っていたよりずっと楽しかった。
自転車だから暗くなる前に帰りたかったが、
ミニ花火大会が始まった頃には10時を回り、
もちろん辺りは真っ暗になっていた。

夫は何だかとても機嫌が良くて、
知り合いに出くわす度にそれぞれに話も弾んだ。
私達は、ビールの後はワインの炭酸割りに替えてさらに飲んだ。

さあ帰ろうとなった頃には日付が変わろうとしていた。
夫は、かなり飲んでも、酔って乱れるということの一切無い人で、
私はというと、彼ほどには強くない。
二人ともほぼ同じ量を飲んだから、
私の方が彼よりずっと酔っていたはずだ。


自転車に乗る時いつも先を走る彼は、
二つ持ってきた懐中電灯のうち幾分かでも明るい方のを選んだ。

祭り会場を出て、閑静な住宅地を抜け、暗い散歩道に入る。
道がアスファルトの部分は何の問題もなかった。
広い草原の一本道(土の道)も、
月明かりがあったので思ったよりはましだった。

酔って自転車に乗ったら危ないかもしれないとか、
そんな殊勝なことはもう考えていなかった。


家に近付く手前で、森を抜けなければならない。
月明かりの全く届かない真っ暗な森の、土と小石の細い道は、
よく知っている道なのに、よくわからなかった。

乾いた水溜りのへこみとか、
石ころや落ちた小枝などで道はでこぼこしていて、
何度かタイヤを取られそうになり、
ああもう自転車なんて嫌だと思った。(そこで降りて歩けばよかった。)

自転車で帰らなきゃいけない羽目になったのは
夫がそう言い出したからだと思い、段々夫のことが憎らしくなってくる。

酔いと疲れで集中できず、そのうち泣きたくなってきた。
ただでさえろくに見えない暗い道は、浮かんだ涙でもっと見えなくなった。
そして再びタイヤを取られ、今度は転倒した。


顔を傷つけたとすぐにわかった。
正直に言うと、そのことで私は正気を失ったと言っても大げさではない状態になった。

体のどこに打撲を受けようと、体のどこかをちょっとくらい切ろうと関係なかった。
顔の傷にただ気が動転し、涙がもっと出てきた。
もちろんそれがどんな傷かもわからなかったが。

夫は、10メートル程先で自転車を止め、私が立ち上がるのを待っていた。
私に手を貸しに戻ることは無かった。
転ぶなんて馬鹿だなさっさと立てよ、くらいのことを思っていたんだろう。


私がすべきことは、
カゴからどこに吹っ飛んだかわからないハンドバッグを探し、
自転車を起こすことだった。
でも私はそのどちらもせずに、起き上がると夫の元に歩いた。

転んだ女に手を貸すでもなく突っ立っている男に、
私は八つ当たりをせずにいられなくなった。

至近距離まで来たところで、
私は言葉にならない声を上げて彼の胸元をこぶしで思い切り叩いた。
そしてくるりと向きを変え自分の自転車に戻るつもりだったが、
思い直して振り返り、もう一発叩いた。

夫は何か抗議の声を上げたみたいだったが、私の耳には入らなかった。
暗闇の中、夫は私の顔に傷が出来たことが見えていない。
私の気がそこまで動転している理由が彼にはわからなかった。


私が転んだこと自体は、夫が直接手を下したわけではない。
それに私には、友人一家(ご主人は禁酒中)の車に
行きも帰りも乗せてもらうという選択肢もあった。
でも、夫が一人で自転車でというのも、特に帰りがかわいそうかなーなどと思い、
一緒に自転車で行くと決めたのはこの私。


私は、倒れたままの自転車に戻らず、
ハンドバッグがどこに飛んで落ちたかも顧みず、そこから歩き出した。
歩きながら、歩くことはなんて安全だろうと思った。

100mも歩かないうちに、家の前に続くまともなアスファルトの通りに出た。
まったくばかみたいだ。あと少しだったのに転ぶなんて。


バスルームで鏡を見たら泣けてきた。
傷を水で洗い流して、鏡を見てまた泣いた。
たいした顔じゃないというのに、
傷ついた自分の顔はとてもショックだった。

その夜は、夫の隣で寝る気にならず、
布団と枕をかかえてリビングのカウチに横になった。
大きなカウチだからスペースは充分ある。
首も腕も手も脚も痛かったが、顔が腫れていく感覚が一番つらかった。

明日起きたら、泣きはらした目と腫れた顔はどんな風になっているだろう。
(不幸中の幸いで、傷は顔の下半分だけでした…。)


翌日は昼近くまで寝込み、起きてから夫に聞いた。
あなたはケガしなかった?私あなたを叩いたよね。
なぜ夫にそんな風に聞いたのか、自分でもわからなかった。

夫が私の顔に目を見張る。
私の昨夜の八つ当たりの理由が、ようやくわかったようだった。


顔や体が受けたショックは、それはそれで充分にショックだったが、
夫を叩くなどという凶暴性に私は自分でショックを受けていた。
日頃の鬱憤は、どんな時にどんな形で爆発するかわからないものだなと思った。

心と体が受けたショックと痛みとで、私はその日一日寝込むことにした。
食欲は無かったが、私の他には誰も食事の用意をしようという人がいなかったから、
仕方なく起き出してそれだけやると、また寝込んだ。
本当は、傷が治るまではもうずっと起きたくないと思った。


その翌日に、夫はスウェーデンに発った。

私は、こんな顔を誰からも見られたくなかったから、
家から一歩も出たくないというのが本心だった。
でも、仕方なく夫と一緒に空港に向かった。
夫が帰るまで車を空港の駐車場に置きっぱなしにされるよりは、
自分で運転して帰るほうがいい。

いつもなら夫と空港のカフェでお茶でもしてから別れるところだが、
私はとんぼ返りすることにした。彼も異論は無かった、

心の動揺はまだ完全に収まってはいなかった。
左の膝が痛くて、クラッチを踏むために意識して力を込めなくてはならなかった。
落ち着いて走らなければと、自分に言い聞かせた。
こんな時こそ、いつもより速度を抑えて慎重に。


そう言えば最近、家からそう遠くない所で、
正面衝突事故直後の車2台を見たことがあった。

先日、息子を空港へ送って行った日も、
先行車2台がすんでの所で事故を起こしそうになった。
1台が無茶で馬鹿な運転をしたのが原因だった。
大してスピードは出ていなかったが、もしも事故が起きていたなら、
私達の車は避けられずに追突していたかも知れなかった。

自転車での転倒は、
もっと悪いことが近々起きるかも知れないよと誰かが私におしえて
注意を促してくれたようにも思えてきた。


ものは考え様。
もっと悪いことが起きなくて良かったのだと、
そう思わなければ。

木に激突しなくてよかった。
目に怪我をしなくてよかった。
どこかに枝や何かが刺さらなくてよかった。
縫うような怪我をしなくて良かった。
あちこち痛いけど、顔もすごいけど、
痛みを除けば体はぴんぴんしてるじゃない。
もっともっと悲惨なことは世の中にいくらだってある。


日一日と少しずつ気持ちは持ち直していく。
できたかさぶたの下に新しい皮膚が再生している。
消えない傷もあるだろうけど、
私のドジであちこち傷つけられた私の肌が、
一生懸命きれいに戻ろうと頑張ってくれていると思うとただありがたい。

明日には、また少し傷はきれいになっていく。それをじっと待とう。
それから、暗闇で自転車は、もう二度と乗らないことにしよう。


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軟膏

自転車で転んだのはこの前の日曜未明で、
その日曜はほぼ一日中ベッドの中に居た。
鏡を見るのもオソロしく、気分は最低だったので、
読書で気を紛らわそうと頑張った。
でも頭の半分は前夜を振り返りっぱなしだった。

翌月曜朝、もう外へは一歩も出たくないというのに
娘を、車で15分の町にある塾まで送らなければならなかった。
(↑ 娘はドイツで初めての塾通い)

娘を送った帰り、真直ぐ家に戻らずに
家の近くのクリニックに寄ることを思いついた。
本来ならば予約を取ってから行くものだが、
とりあえず行ってみたら、受け付けてもらえた。

私は、医者に行かず何もしないで直るのをじっと待つこともできた。
でも、もしかしたら、受診すれば何かすごい軟膏でも出してもらえるかも、と期待した。
傷が少しでもきれいに直るような特効薬があればいいのにと思った。

月曜の朝だったから、待合室はちょっと混んでいた。
こういう田舎のクリニックだと、待合室に入る時には
誰でも「おはよう」とか「こんにちは」と挨拶するのが普通だから私も言おうとしたら、
唇とその周辺が特に腫れていたのでうまく言えなかった。
そしてうつむいて順番を待った。

40分待って診察室に通されると、じきに先生が入ってきた。
そこの先生はまだまだ若くて、私はどうも彼が苦手。

あの先生がなぜ苦手なんだろうかと、
私は息子と話し合ったことがある。
実は息子も「なーんかあのせんせ違うよね」と言う。

多分それは、彼の若さのせいというよりは(それもあるにはあるが)、
机をはさんで向かい合った途端にいつも両肘をついてガバッと身を乗り出し、
パッチリした目でいとも明るくこちらの瞳を覗き込んで、
元気いっぱい症状を聞いてくるあたりに、問題があるような気がする。
その雰囲気に、いつだってこちらは気押されてしまうのだ。
もっとこう、落ち着きのある穏やかな眼差しで聞かれたいのに。
(私の知る限り、ドイツのお医者さんはみんなそうなので。)

だから私は、彼のクリニックには行きたくない。
しかし、近所という利便さにいつも負ける。

「傷はいい感じにきれいになってきてますよ。
軟膏を出しておきましょう。他にできることもないし」
と言って彼は私の思惑通り処方箋を用意した。
帰りに薬局に寄って購入後、帰宅。
医者に行ったのだからと思うと、気分的に安心できた。

帰宅すると、その日スウェーデンに発つ夫がほぼ荷物をまとめ終わっていた。
私は喋りにくい口で夫に言った。
「先生ね、私の顔見てすぐにこう言ったんだよ、『ははーん、自転車でしょう』って」

「『ダンナさんにどうかされましたか?』と先生から言われなかった?」
と夫が言ったので、私はなるほどーと思って笑った。
笑ったといっても、腫れと引きつる傷で思うようには笑えなかったが。
「そうねぇ、今頃先生、警察に通報してるかも」と言ってやった。

確かに、暴力夫に何かざらついたもので
口元を殴られたように見えるかもしれなかった。
有らぬ噂が立たぬよう、やはりここはせいぜい家から出ないことにしたい。
しかし、誰かがそういう誤解をして夫をワル者に仕立て上げ、
私には同情してくれたなら、それはまあそれでも良いかなと思わないでもなかった。

さて、傷をぴちゃぴちゃと洗って、ありがたい軟膏を早速塗ってみる。
なかなか脂っこい軟膏だった。

私の傷は、こすれてできた火傷みたいなものと、
小石とか砂でじゃりっと引っかいたような傷のミックスで、
軟膏を塗って1時間後に鏡を見たら、
全ての傷が、油膜に塞がれ息も出来ずに苦しんだ挙句に
回復どころか悪化しつつあるように見えた。

それでも先生を信じようと思ったが、
2時間が過ぎる頃には黄色い膿っぽくなってきたから、
ぬるま湯で流し、ティッシュで押さえて乾燥させることにした。

そう言えば幼い頃に母が言っていた。
冬は傷を包んであげるといいよ、
でも夏の傷はきれいにして乾かすだけの方がいいよ、と。
(もちろん傷の深さによりますが。)
やはりここは母の言いつけを守ることにしよう。

でも、今日は意味の無い軟膏しか先生は思いつかなかったのだと
わかったところに収穫はあった。

クリニックから帰宅し、私の傷が軟膏で化膿し始めた頃、
スウェーデンに発つ夫と一緒に空港に向かう時間になった。
とことん家から出たくないというのに、その日二度目の外出と相成った。

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Author:granat
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