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試み

どんな場面であれ、親がその場にいない方が、
子供ははるかにしゃんとすることがある。
そしてそれは、子供が小さい頃だけの話じゃないんだと、
このごろ痛感。

日常っていうのは、毎日同じように過ぎて行って、
特にこうしようああしようと決めてかかったわけじゃなくても、
何かがいったん習慣みたいになってしまうと、
いざ変えようとする試みは、時として簡単じゃない。

朝起きて、紅茶を入れる。そこに冷たい牛乳を足す。
朝一番の飲み物は、何となくあんまり熱過ぎないようにと思う。
だから冷たい牛乳を少し多めに。
気分によっては砂糖をひと匙。去年までは決して入れなかった砂糖を。
年のせいかな、甘い飲み物も、美味しいものだなと、この頃思う。

乾いた洗濯物の中に息子のものがあれば、たたんで息子の部屋に届ける。
届けついでにそれとなく息子を起こす。
洗濯物を持って行くのは、子供を起こす口実になる気がした。

「こんな事をいつまでもしていてはいけない」と思いながら、
「そう思いながら何年経つんだろう」と思いながら。それが日常だった。

子供が学校に持って行く軽食は
― それは例えばハムとチーズとレタスを、あるいはハムの代わりにサラミを、
  バターも塗らないパンに挟むだけの簡単なものだったりするが ―
子供から頼まれた日に限り用意。

紅茶を持ってパソコン部屋に行く。
あるいはリビングでぼーっとしながら紅茶を飲む。
ぎりぎりになっても息子が起きてこないと、階下から声をかける。

車さえあれば、特に問題があるわけじゃない。
通学のバスに遅れても私が送って行ける。
けれど、子供がバスに乗り遅れさえしなければ、
私もわざわざ送っていく必要が無いので、
できるだけ乗り遅れないでほしいものだと毎日思う。

夫が出張に車を使う日は、つまり私は車が無いので、
そういう朝に子供がバスに乗り遅れたりすると、
特に息子の路線の場合には、もう手段がなくなる。
だからそういう朝には、私はさらに神経質になる。

起きなくてはいけないとわかっているのに誰かから起きろと急かされるのは、
まったく嫌なものだ。息子はもちろん、そのうち私にむかっ腹を立てる。

腹を立てられようが、息子がバスに遅れては大変と思う私は
やっぱり毎朝息子を起こさなくては安心できない。

ああ、こんなことを、一体何年続けているのだろう。
何の進歩も無いままに。

私とて、朝っぱらからうるさくしたくはこれっぽっちもないが、
ついつい何かとやかましくしてしまう。
特に、朝の時間の無い時に「答案用紙のここにサインをくれ」だの、
「美術の授業の材料費に8ユーロ50セント要る」だのと言われると、
「なんでゆうべのうちに言わないの!」と声を荒げる。

そしてその様子に今度は夫が腹を立て、朝っぱらから何だぁ!となる。
私はちっとも悪くないのに、一緒くたに怒られる。

こんなこと、いつまでもしてちゃいけないと、
そう思いながら何年経ったんだ?

ここで私は、心を入れ替えよう。
新たな試みを始めることに決めた。

これからは、毎日静かな朝を迎える。
子供は、親がその場にいない方が、しっかりするものなんだから。

息子に向かって私は、粛々と宣言した。(それは先週火曜夜のこと。)
「明日からママは、もうあなたを起こさない。
目覚まし時計をちゃんと使って自分で起きなさい。
ママは、朝の用意をしたらどこかに引っ込むから、
あなたは自分で起きて学校に行く」

ああ、こんなことを、百回だって言ってきた。しかし今度こそ本気。

そして宣言後の水木金、
息子が突然にしてちゃんと起きて学校に行った。
初日には朝シャワーまでして。

まったく、親などいないに越したことは無い。
自分は何でここでこうして生きているんだろうかと、
何やら複雑にならぬでもない、この小さなステップ。

こうして自分は、また一つ要らなくなって行くのだと
思う小さな寂しさを、喜ぶことにしよう。
いつまでも親が自分に役目を持たせていても、
それはまずいだけだと、遅まきに気付く私だった。




おまけ :

今日は夕方に隣町の卓球クラブのトレーニングがある日で、
息子は今日の宿題がなかなか片付かずにむしゃくしゃし始め、
「今日は卓球行かない!」とまたぞろごね出したので、
私は息子が卓球に行くなら出なければならない時刻にかぶせて
スーパーに買い物に行った。
息子はおそらくサボったに違いないと踏んで帰宅したら、
息子は留守だった。ちゃんと行っていた。
これは、親がいないと子供がしゃんとする実に良い例だと私は思う。



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試み-2

「朝に息子と顔を合わせない」という新しい習慣を作って2週間。

「平日の朝に登校前の息子と一切顔を合わせない」と言えばより正確。

これがなかなかうまくいっているので、
なぜもっと早くに思いついて実行しなかったかと思う。
けれどもまぁ、日常というのはそんなものだ、とも思う。
もっとああしていたなら、いや、こうしていたなら、
どうだったのにと、思うことばかり。

触らぬ何とかに何とかと言うから、
特に息子の虫の居所が悪そうな時には、
こちらからわざわざ話しかけない方が双方にとって良いと百も承知だが、
一緒に暮らしているとなかなかそうきっぱり出来ない部分もある。

息子と話すと、会話の一体どこがどんなきっかけになって
口争いに発展するかわかったものじゃない。
静かな朝を迎えるという目的を日々達成するためには、
息子と顔を合わせないという新たな習慣を始めたことは実に良かった。

結果息子は、自分で起きている。素晴らしい。

朝に子供と顔を合わせれば、ついつい私は何か声をかけてしまう。
しかしそういう母親は、結構多いと思う。転ばぬ先の杖を、あげ過ぎちゃうのだ。

息子が何年生になっても、「忘れ物しないようにね」だの
「そういえば先週体操着忘れたって言ってたね、今週は気をつけなさいよ」だの
「学校から何か連絡文書は無い?」だのと
しょっちゅう言って来た私がうるさがられるのも当然。

それに、そういうことを言っても言っても、
それでも子供は、と言うか、人は、
忘れ物をする時にはする。だからたいして意味が無い。

結局私は、すべて自己満足のために言ってきたんだろうと思う。
子供に何か声をかけることで、毎朝の責任を果たした気になっていただけだ。
子の成長を促がすつもりが、反対向きにしか、ならなかった。

うるさい親に反発する心は、いつかその状態を奇妙に変形させて、
親の望まないことをわざわざしてみようとするかも知れないと、
遅まきながらちょっと気付いた気がする。

私と息子が口げんかみたいになる時、
夫はいつも「アナタさえ居なければすべてはうまく行く」と
私に向かって言ったものだ。

何かと口うるさい私さえ居なければすべてはうまくいく…。

私は子供のためを思って言っているのに、
それでも私など居ないほうが子供には良いと言うのか。

そうかもね。確かにそうなんだろうと、思った。

けれども、だからと言って、
はいわかりましたと家出するわけに行かない。
家を出て、そこから行く先が無い。

だから私は、どこにどう居なくなればいいのかが、
さっぱりわからずにいた。
いっそ夫が私のためにどこかに部屋でも借りてくれればいいが、
それも経済的にもったいない。

それに私は、出て行くなら私ではなく息子の方だろうと、ずっと思っていた。
だからあと何年かの辛抱なのだと。

息子と顔を合わせないために
犬も居ないのに朝っぱらからひとり侘しく散歩に出るというのも、
どうにも気が進まない。
なぜ私が息子のために気温4度の寒空に(こちらはそれくらい寒いんです)
出て行かなくてはならないのだろう。少々理不尽ではなかろうか。

それで私は、この新しい習慣を始めるに当たり、
朝の支度を済ませてたあとで(…と言っても全く大した事はしないが)引っ込む場所を、
屋外ではなくパソコン部屋でもなく、寝室の自分のベッドに決めた。
それは私にとって、世界で一番平和で幸せで暖かくて愛すべき場所。

窓を開け放し朝の冷気を入れながら、
ベッドに胡坐でもかいてさっき作ったミルクティーを飲もう。
飲み終えたらごろりと横になる。
そしてやっぱり、息子は今朝もちゃんと起きるだろうかと、
物音に耳を澄ます。

私が息子をそれとなく毎朝起こしていた頃には
いつまでもそんなことをするなと怒っていた夫が、
この習慣を始めて数日、私無しで息子がちゃんと起きれるだろうかと
私に代わって心配し出した。おかしなものだ。

私が始めた新習慣は、結果我が家に静かな朝をもたらしたので、
今後もしばらくは続けることにしよう。

家の中でこんな風に息子から「隠れる」というのも奇妙だが、
これでどこかが改善して行く気が、しないでもない。



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山歩きがもたらすもの

日曜にたっぷり4時間「山歩き」をして
― 正確には「山下り」でしたが ―
思いっきり筋肉痛を堪能した月火水でした。

ということで、たまにはこんな、観光案内的な投稿を。

行った先はこちら。ラゥシュベァクRauschberg。

最初はゴンドラで一気に標高900mを登ったので実に楽ちん。
Auffahrt_zum_Rauschberg__gross_.jpg
(↑この写真のみネットから拝借)

しかしあとはひたすら、車を停めた駐車場まで山を下る!

ゴンドラで楽々登り切り、見下ろす下界はいまだ深い霧の中。
DSC05773.jpg

DSC05774.jpg
そう。この時下界はどんよりと日も差さない霧の中でした。

はるか遠方の、パノラマの一部はこんな風。
DSC05775.jpg

本当はこの日、知り合いの夫婦と一緒に行くはずだったんですが、
そちらのダンナさんが急遽体調を崩したために、夫と二人で行きました。

こんな道とか、
DSC05771.jpg

この位なら、たとえ退屈にはなっても歩くにはラクですが、
DSC05787.jpg

行ってみたらばもうこんなところばっかりで。
DSC05785.jpg
いや、これなどまだ楽なほうかも。

写真を撮る余裕も失くす道なき道があまりに多く、
そんな所を3時間以上歩いて音を上げない日本女性は
おそらくドイツには居ても日本には居ないんじゃないかと
思ったりする私でした。いえ、ちょっと、冗談です、すみません。

ところで、「全部で4時間歩いた」とか言っても、
比較的平坦で道らしい道を歩くのならそんなには大変じゃないのですが、
この日のコースは、
さすがに夫が私に事前に情報を明かさなかっただけあって、険しかったですねー。

夫が私に何にも言わない理由が、歩いてみて良くわかりました。
これを事前に知っていたなら、えええ~!?とか、ひえ~!私だめそれ、とか、
夫が実に嫌いな、日本女性らしい言葉を言っていたに違いありません。

私は、ゴールまでどの位かかるのかを、先に知りたい人なんです。
どんな道をあと何キロ歩くのか、全部で何時間何十分歩くのか、
そういうことを事前に知っておきたい。

全く関係無いんですが、私は第一子出産の時に全部で40時間近く苦しんで、
これはもう、ここで死にたくは無いけれども死んだ方がマシだ、と思いながら、
回診の度にゴールを示してくれない医師を恨みかけたことすらあって。

とにかく、ゴールが見えないという状態はとっても気に入らない。

さて、こちらは、バイエルンの山小屋マップに必ず載っているらしい有名な山小屋。
セップおやじのヒュッテです。
DSC05790.jpg

この写真の中で、袖のところが赤いのがセップ親父さん。
この方は、もしかすると片方が義足なのかな。
ふざけたことを言っては客を笑わせる明るい親父さんで、
まるでちょっとした演劇を見せてもらっている気分になりました。

ところで、この手のヒュッテにひょっこり日本人が訪れるというのは、
全くその場にふさわしくありませんので、
いざそこに着いてみると幾分肩身の狭い思いをすることになりますが、
着いてしまっては仕方もないので、控えめに座ると良いでしょう。

私がここで美しい標準ドイツ語を使いこなして自分でビールを注文するだなんて、
全く恐れ多いので、ここは全て夫に任せることに。

はっきり言って、こってこてのババリア人でないとこういう所に居ることすら、変!
でも、ここまで辿り着くのにさっきのゴンドラから既に2時間費やしているので、
ずうずうしくも休憩させてもらいましたとも。

セップ親父さんのおかげで実に美味いビールを飲ませてもらって、再び歩き出しました。
冬場のスキーでも、秋の散策でも、
山のこういうヒュッテというのは、本当にいつも良い雰囲気で人を迎えてくれます。
日本に、こういうのがどうして無いかなと、いつも思います。

親父さんのヒュッテをあとに、また数十分。
陽光を浴びて黄金に輝く怪しげなきのこ発見。
DSC05783.jpg

あれ?
この先はもう、写真を撮るのも忘れてひたすら歩いてたみたいですね。
載せる写真が無くなりました。

ということで、早くも写真が尽きたので、本日これにて。

それにしてもこの筋肉痛は…。


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用意周到

この前の山歩きの日の、おまけの話。


ゴンドラ・ステーションの駐車場に車を停めた時、
私は、車のドアポケットにいつも入れている水のボトル(500ml)を一本
持って行ったほうがいいなと思いながら夫に、何か飲み物持って来た?と聞いた。
ちゃんと持ってると彼が答えたので、
さっすがーと思い私はその水を持たずに手ぶらで車を後にした。
なぜ明確に「水を持って来ているか」と聞かなかったのだろう。

ゴンドラで標高900mを数分で上がり、しばらく上の景色を眺め、そして歩き始めた。
そのうちのどが渇いた私は、少し先を行く夫を呼び止めた。

「飲み物、ちょうだい」

「ビールしかない」

「えぇ?ビール?ビール持って来たの?水じゃなくてビール?」

「だって、山のヒュッテはもしかして開いていないかも知れないから」
(↑ヒュッテが休業だとビールにありつけない)

「ビールじゃ今飲むわけに行かないじゃん。まだ午前だし。まだまだ先は長いし。
 ああのどが渇いたなぁ」

山のヒュッテは、スキー場にあるならいざ知らず、
散策路の途中にあるヒュッテでは、確かにこの時期既に閉めてしまう所もある。
それを考慮しビール持参とは実に用意周到な夫だ。

しかしこれでは用意が良いんだか悪いんだかわからない。
私は、のどが乾いた。飲むなら水だ。まだまだ先は長いので、
ここで夫の背中で温まったビールを飲むわけに行かない。

あぁ本当にのどが渇いた。どうしよう。

と、通りかかった山小屋に、
これにもうちょっと毛の生えたくらいのがあって、
Wasserhahn.jpg

ちょろちょろ水が流れ出てくる。
飲み水なのかわからないが、仕方ないので飲んだ。
水ゴケのエキスが入っていそうだ。お腹壊さないかな。

少しばかりのどを潤し、また歩き出して、
やっとヒュッテに着いたら営業していた。良かった。

ゴンドラで登った分を下る道程は、十数キロの距離になったと思うが、
獣道の様な箇所があまりに多く、かかる時間の割りに距離を稼げない。
そしてその道すじにヒュッテは一軒だけなので、
それが閉まっているとなれば、かなりがっかりすることに。

確かに、そんな時に持参のビールがあったらどんなに嬉しいだろう。
けれど、ひと肌に温もったビールではちょっと嬉しくないかも。

疲れて歩くのに飽きても、車を停めた駐車場に戻らなければ帰宅できない。
ヒュッテをあとにまた延々と歩きながら、私は夫に聞いた。

「ビールを、どうするつもりだった?冷えてないのに」

「川か、小川か、湖を見つけたら冷やすつもりだった。
 10分も入れておけば冷たくなる」

「なるほどねー」

大自然の大ファンというわけでは特にない私は、
そういう事をぱっと思いつかなかった。簡単なことなのに。
と言うか、川や湖の脇を通ることになるのかも知らなかった。

自然に囲まれ、川で冷やすビール。
やはりビールに関しては用意周到な考えを持つ夫だ。
けれど結局の所は、ビール2本より水を2本持って行った方が利口だった。

帰宅後お腹をこわした私。帰宅後で良かった。
やはり水が良くなかったのだろうか。



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飼うか飼わぬか

この前の冬は、
モグラのおかげで裏庭にいくつもいくつも小山が築かれ
全くひどい有り様になったので、
夫がいくつかモグラ撃退策を施してみたが、
残念ながらどれも、手間の割に全く効果が無かった。

あれこれ試したのちに夫は、
「猫を飼うと良い」というのをとある農家の人から聞いてきて、
それでは飼ってみるかと言い出したのだったが、
私としては、次に何か動物を飼うとしたら、
やはり今いるモルモットがいなくなってからだろうな…と思っていた部分があり、
猫の話は結局私が本腰を入れなかったという形になりそれきり、
具体的にはならず時ばかりが過ぎた。

それでも私はあの時に、
飼うならアメリカンショートヘア、なんて思ったのだったが、
そういう猫はちょっとどこかからもらって来るわけに行かず、
ネットで探してみても近くでは見つからなかった。
と言うか、それは冬のことだったから、探す時期がずれていたのだろう。

さて、夜間にはマイナスにもなろうという今日この頃の天気。
今年は早くも週明けからモグラ襲来を受けている我が家の庭。

もちろんモグラ見張り番のためだけに猫を飼うつもりは、
夫にはあっても私には無いが、
モグラが夫の心を猫になびかすきっかけになったことは確か。

しかしモグラよりも、
実は夏の頃から義弟に猫を飼うことを勧められてもいた。
息子のためにきっと良いよと言われては、
そりゃあまぁ、情操教育には良いかもと、夫も私も思った。

それは息子にとってだけでなく、猫が足元にまとわりついたり、
その辺で機嫌よくごろごろと喉でも鳴らしていれば、
家族全員にとって良いかもと思った。ペットがかすがいになるかもと。

ところで、復活祭の頃に突然うちの老うさぎが消えて二度と戻らなかった時に、
私は自分の、「娘のうさぎの世話を娘に代わってする」という役目が消えたために、
これで意外と、かなり寂しい思いをすることになった。
ああもう世話をしなくていいんだとほっとするよりも、
どこに行ってしまったのか、はたまた連れ去られたのか、生きているのか
という心配と、姿が見えなくなったことへの寂しさの方が勝った。

もちろん私は、娘のうさぎのために生きてたわけじゃないけれども、
何と言うか、うさぎの世話が消えたことで自分がここに居る意味が一つ減った、
という風に思われて、それで寂しかった。でもそれは、時間と共に薄れていったが。

モグラのことはさて置いても、もともと決断力の無い私のことだ、
義弟に勧められても、飼おうかどうしようかとまた軽く悩み続けながら、
夏を過ごし秋も過ぎた。

うちのモルモットはころころ太って元気にしていて、今4歳だろうか。
友人の所のモルモットが2歳のある日にぱたりと死んだことを思えば、
太らせ過ぎたことは申し訳ないが、ひとえに私のお陰で長生きしているとも思う。

さて、今月に入ってより
何だかわからないが夫の方がまた猫を飼う話に積極的になり、
それで私も再びネットで探してみることに。

ある動物愛護団体のサイトを見た。
そこに登録している会員の家で
犬や猫やウサギやハムスターやトカゲその他もろもろ生まれたりすると、
サイトを通して里親探しができるシステム。

アメリカンショートヘアは見つからなかったが、
8月生まれのかわいいのが7匹もいるお宅が、
ここから車で25分の所にある。

夫に頼んで、その団体に電話してもらった。
わきで私も話を聞いていると、
こちらの住所や電話番号などを聞かれて夫が答えている。
家族構成まで聞かれていたので、私はちょっと驚いた。

そして、最も近い所に住んでいる運営委員の人が、
後日我が家を訪問することに相成った。

こんなご時世だから、まかり間違っても私達が
決して動物虐待をしない人間達かどうかのチェックが目的か。
猫がハッピーライフを送れる環境を私達が提供できるかを確認するためか。
両方+その他、に違いない。

ほほぅ。そこまでちゃんとするんだ。

夫は電話の相手から
「1匹と言わずに2匹いかがですか?」と聞かれたらしく、
いや、1匹でいいです、と答えていた。

でも、子猫をもらうなら2匹一緒に、が良いらしい。
それはまあ、そうだろう、猫にしてみれば。

そして先日、そこから人が来た。
その面接に合格しないと始まらない、と思ったら何だか緊張して、
面接官の心証を良くするためにと掃除機をかけ窓ガラスも磨いた私だ。
来客があると、家がきれいになって良い。

我が家を訪れたその女性は、私が磨いた窓ガラスには目もくれずに、
猫を飼うに当たっての心構えと飼い主がすべきことの説明を、てきぱきとしていった。
自分でも猫を2匹飼っていて、共に18歳になった今年一匹が死んだそうだ。

彼女は私たちに聞いた。

「猫は、20年かそれ以上生きる動物です。その点は大丈夫ですか?」
「猫は、住まいと密接な関係を築く動物です。引越しなど無いに越した事は無い。
 その点は大丈夫ですか?」

この人の、動物愛護の立場を思えば、
斯く斯くしかじかと説明を怠らないのは義務の様なものだと思うが、
私の様な決断力に欠けた人間をさらにためらわせるには、これは充分だった。

私は、もとは娘が欲しがって飼うことになったうさぎ
(最初は2匹だった)の世話を合計7年間、
そして、もとは息子が欲しがって飼うことになったモルモットの世話を、
これは今もまだ続いていて4年間、やってきた。

責任感は人並みにあると思うので、
自分が生きている間はペットに責任を持つつもりではあるけれど、
私が今から20年後に70になってもまだ生きているかは何とも言えないし、
その時猫がまだ生きているかもわからぬことだ。
何の約束もできないではないか。

そもそも私は、
「人間をして『誓う』などということが出来るわけがなーい」
というのが信条の一つでもある。
それだから、ここで話はかなり飛ぶが、夫と結婚する時ですら
「結婚の誓い」というのを二人で読み上げる羽目になった時に
心にかなりの抵抗を感じたものだ。

必ず猫よりも長生きをして、最期までしっかり面倒を見ます、などと、
どうして誰かに誓えようか。
だって気持ちは変わるんだし明日死ぬかもしれない。

いやいや、飼うのは猫だ、
何もそこまで考えなくてもいい。
出来るだけのことをすればそれで。

毎日、朝に昼に晩に、
小犬を連れて散歩に出ているおばあさんが近所にいる。
彼女が、明日急に倒れて犬の世話が出来なくなるという可能性までを考えていては、
人間何も始められない。

動物愛護サークルの訪問を受けて、
飼おうかな~どうしよっかな~と軽く呑気に延々と悩んでいた私は、
猫を是非とももらって欲しい、できれば2匹、というその思惑とは裏腹に、
ためらいがいや増した恰好になったのだった。

案ずるより生むが易し。
そう、案ずるより生むが易し、だ。
この真実を、何度も経験してきた。
飼ってしまえば何とかなるし何とかするし。

しかし何が私をためらわせるのか。
それはやっぱり、夫に関係してくる気が。

例えば我が家の床。ふんだんにちょっと高価な天然木が使われている。
夫はかねてより、それが汚れたり傷ついたりすると心配をする。
「猫を飼っても猫トイレはケラー(地下)に置いてくれ、餌もケラーだ」
なんて言っている所を見ると(ケラーはタイル張り)、
これで猫が伸び伸び暮らせるのかと思って私は躊躇する。
しかし猫の気持ちは知らない。猫は寒くてうす暗いケラーを好むだろうか。

そんな夫が何故猫を飼おうとまた言い出すのかが不思議な所だが、
きっと、息子のためにと思っているのだ。

しかし今度ペットを飼うならば、
私は、自分がそうしたくてそうする、という形を取りたい。

そして私はまた、毎日少し悩む日々を選ぶ。

飼うのか飼わぬのか。

飼ってみたいと思いながら飼わずにいる状態、
飼おうと思えば飼えるのに飼っていないという状態、
結局のところ私は、それを楽しんでいるのかも知れない。

まるで「アルケミスト」に出てくるクリスタルの商人のようだ。
ここでとりあえず満足をして、長い旅を始める勇気は無いのだ。



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Author:granat
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