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思い出話(結婚前のこと)

夫と知り合ったのはもう18年も前の東京だった。
私がたまたまドイツの会社の日本支社に勤めていた時期があり、
ドイツ本社から来ていた彼と知り合った。

知り合った時彼は既に、少しの日本語が喋れた。
ドイツから東京に来てちょうど1年になると聞いた。

当時彼は日本語スクールに通っていた。
時々意味不明な言葉を言ったりもしたが、
コミュニケーションは何とかとれた。
付き合うようになって10ヶ月過ぎた頃、一緒に住もうという話になった。

たまたま私は、その数年前に、NHKの番組で、
ドイツの結婚事情に関するレポートを見たことがあった。

当時のドイツでは、離婚するのがとにかく大変なので、
まずは一緒に住んでみて、結婚してもうまく暮らせそうか試す、
結婚はそれからだ、という内容だった。

だから、結婚を意識している恋人同士は、割と簡単に一緒に住む。
もちろん、一緒に住むに当たっては、双方の家族に相手を紹介する。

快諾してもらえれば、それが一番理想的だ。
親のほうもよくわかっているからあまり反対はしない、
というような内容だったと記憶している。
彼から一緒に暮らそうと言われた時、私はその番組を思い出した。

私にはいつも誰か恋人がいて(自慢するわけじゃ決してありません)、
少しだったが自由になるお金と、やりがいの感じられる仕事、
そして健康とまだ若さがあったから、
結婚願望は、あの時別になかった。

実は24歳の時に、後にも先にも一度だけ、
心から一緒になりたいと思った人がいた。

しかし、父親の猛反対に遭い、あまりの勢いに押されてうんざりもし、
「結婚する」と言い出すとこんなことになるのかと、
「結婚」に対して気持ちがどこかで萎えてしまった。
まあ親にしてみれば、相手の男性が頼りなく思えたのだろう。

それからずっと結婚を考えなかった。
付き合っている人からプロポーズされても、うやむやにしてきた。
なぜ、出会って1年たたないドイツ人と一緒に暮らすことにしたんだろう。
何も深く考えず、私は彼との生活を決めた。
(もうちょっとくらい、考えればよかったかもしれない。)

私は、彼を連れて実家に行った。
両親は、特に父親は、かなり悩んだようだった。
悩みに悩んだ末、結局のところ、父は彼を温かく迎えてくれた。

私には、父が悩んだ理由がわかる。
相手が外人だなど、猛反対したいところだが、
ここでまた猛反対すれば、
この先娘は二度と結婚すると言い出さないかも知れぬ。
そういう気持ちがあったに違いない。
頑固な父も、諦めたのだ。

彼の日本語は、下手ではあったが両親を安心させた。
私は、自由気ままな一人暮らしの部屋を引き払う準備を始めた。

一緒の生活が始まり2週間した頃、
今度は彼の家族に会うために、私がドイツに出向いた。

彼の両親も、複雑な思いだったに違いない。
アジアは、ヨーロッパから見たら別世界だ。
息子の結婚相手が日本人になるかもしれない、などということを、
そう簡単に受け入れられるわけが無い。
しかし彼の両親は、その心のうちはどうであれ、私を温かく迎えてくれた。

あの時は、車から降りて、玄関へ、ではなく、テラスに上がる形になった。
その場の状況で、そのテラスからリビングに入ることになった。

どこから入ろうと、日本人の私は、無意識のうちに靴を脱ごうとした。
お義母さん(まだ結婚前でしたが、義母と書きます)が、ハッと息を呑んだ。
初めて家に来る客に靴を脱いでもらうなど、まったくもってマナー違反だ。

しかし、私は日本人。靴のまま家に上がるのはとても抵抗があった。
(私はあの時、外国での生活に対してまったく無知だった。)

お義母さんもお義父さんも彼も、あせっている。
ここはドイツだ、靴のまま家に上がらせてもらうことにしよう。
(気心の知れている間柄なら、靴を脱いだってもちろんいいんですよ。)

あの頃の私は、ドイツ語を話せなかった。勉強する気もなかった。
彼の家族の誰とも、言葉でのコミュニケーションはとれなかった。

でも、温かく迎えてもらえたことに感謝し、
結婚するかもしれないのだ、という、妙な安心感で一杯だったから、
言葉が通じずとも、笑顔だけは絶やさなかった。
あの時は自然にそれが出来た。

翌日の朝食の時、食卓の小さな丸いパンを皿に取り、
何気なく指で二つに割ろうとした私を見て、
お義母さんがまたハッと息を飲んだ。

パンは、横方向にナイフで切り分けそこにバターを塗って、
サラミでもチーズでもジャムでも好きなのを載せる、
それがこちらのやり方だった。
手で割ろうとするなど、もってのほか。

今から思えば、まったくもって何でもないことだ。
どうやって食べようと、どうでもいいのだ。
ただ、当時の私は、靴のこともそのことも、
とんでもなく恥ずかしいことをやらかしたような気になった。

そして2週間の滞在が過ぎ、彼と二人で東京に戻った。
楽しい生活が始まった。

彼の拙い日本語すらあの頃は楽しかった。
私も次第に、彼の言葉を学んでみようと思うようになった。
結婚したのは、その1年後の話だ。

あれから何年もたって、私も変わった。
一緒に住んだ場所は、東京→ドイツ→東京→ドイツ。
合計で7年近く住んだドイツ。
東京にいた間も、毎年1~2回成田とドイツを往復していた。
ドイツは外国、と思う感じは薄れていった。

日本人が外国であんまり日本人らしくしていると、
奇妙に見られることがある、ということもすぐに知った。
いかにも日本人らしい仕草は、控えないと変だ。

いろんなことを、こちらの人がするように、私もしようと、心がけた。
ドイツ人が普通にする仕草も、いくつかは今じゃすっかり板に付いた。
ひとの家に上がる時も、
靴のままカツカツと入っていくことに抵抗を感じなくなった。
要するに、いつしか日本人離れしたのだ。

そして、日本人離れした自分は、
ドイツから日本に戻った時に、あれ?自分ってどこか変?
と思ったりするようになったのだった。

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